レンナー自身も、自分の政治生活はもうとっくに終わったものと思い、晴耕雨読の日々をごしてきたのである。二月末、ソ連軍がオーストリアに進撃してからわずか一週間のあいだに、レンナーが耳にしたものは、暴虐の限りをつくしたソ連軍の悪評だった。最前線で戦闘に明け暮れ、殺気立っているソ連兵は、勝利をおさめた先々で、略奪、強姦、暴行などやりたい放題で、レンナーもその現場を見て、ついに怒り心頭に発した。レンナーはすぐさま近くのソ連軍司令部に出かけて、語気鋭くソ連軍兵士の暴行に抗議した。ソ連軍将校は思いがけない勇気ある抗議を聞いたあと、念のために老人の住所と名前を聞いた。「カール・レンナー」将校は聞いたことのある名前だと思い、しげしげとこの老人の顔を見ているうちに、どうやら元首相のレンナーであるらしいことに気がついた。その司令部にいた東部軍総司令官コーネフ元帥の政治顧問ッェルト将軍は報告をうけ、首実検して確認したあと、レンナーをそのまま拘置し、ただちにモスクフに連絡した。レンナーは銃殺を覚悟していた。もはや政治的な野心もないこの老人は、身を捨ててソ連軍に生命がけの抗議をにきただけのことである。モスクワでカール・レンナー勾留の経過について知らせをうけた副首相アナスタス・ミコヤンは、すぐ彼に報告した。彼は、手を打って喜んだ。「えっ! あれがまだ生きていたのか。あいつのような奴こそ、いま必要な男なんだ。こいつはありがたい」レンナーこそはソ連のあやつり人形になる格好の政治家だと、踏んだのである。