保守党も社会党に呼応するかのように、その数日後には新しい国民党を結成する。キリスト教社会党の民主主義的な旧党員たちが、デモクラシーを目指す政党として再出発したのである。新しい社会党と国民党の創立者たちは戦争中、反ナチスの地下運動組織のメンパーとして一緒に闘い、また強制収容所で苛酷な生活を共にし、お互いに理解し尊敬し合う間柄となっており、戦前の反目は終わっていた。彼らは新しいデモクラシー国家再建のために、固いスクラムを組むことでただちに合意した。ところが、ソ連はもっと手回しがよく、抜く手も見せない早業で内外をあっといわせた。新政府の首班をカール・レンナーにすると公表したのである。僧院でこれを聞いたエリザベートは、「まさか」と思った。第一共和国の首相、国会議長を歴任したレンナーはすでに七十四歳の高齢で、ごりごりの反共社会民主主義者として知られ、 一九二八年の出来事に際しては「賛成」というインタビューを発表した政治家である。そのレンナーが今度は、「ソ連軍に協力する」とぬけぬけと宣言する世の中になったのである。ドイツ軍が逃亡したあと、事実上のウィーン代表として胸を張り、ソ連軍を迎えた05の地下抵抗運動の生き残りは、自分たちが主導権をにぎるつもりでいたので、日もきけないほど驚いた。「無節操の裏切り常習犯め! かつてはわたしに、今度は彼に鞍がえか!」国民の多くも、奇想天外なソ連流の人事に唖然として黙ったままであった。エリザベートは、レンナーが同志たちの命を救うためとはいえ、わたし・ドイツとの併合に賛成して以来、彼を身近に寄せつけなかった。彼女にはレンナーは何を考えているのかよく分らず、つかみどころのないオポチュニストと映っていたのである。しかし何となく気にかかるスケールの大きい男でもあった。レンナーは戦争が激しくなってから、ウィーン南方の有名な保養地ゼンメリング近くの寒村に、年金をもらってひっそりと暮らしていた。